少しお高めのシャンプーを使っていたら、減りがとても速くて、なんとなく最近使う量を減らしていた。
そんなに髪長くないから、1プッシュで洗いきる。
でも、なんか洗いきれていない感覚があって、たまにホホバオイルで頭皮マッサージしてクレンジングしたり。
ケンザンブラシもちゃんと使っているのに。(イタキモでオススメ)
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こんなにお湯使ってきちんとすすいでいるのになんでだろう。
年、なんだよねきっと…。と悲しい気持ちでいた。
一週間前にツイッターで、美容院で美容師さんに「普通の人はシャンプーの量が少なすぎる」と言われた人がツイートしていた。
そこでハテ、と考えた。
私も美容院に行って丁寧にシャンプーしてもらった日は、もちろん洗いきれていて、ずっと頭皮がさらさら。
そりゃあんなに時間かけていいシャンプーで洗ってもらったら、そうなるでしょ、とずっと思っていたけど、量というところがひっかかって、試しにその日、贅沢にも2プッシュで洗ってみたのだった。
すると覿面に効果あり、洗いあがりスッキリ、頭皮もさらっとしたのが翌日も続くのだった。エー。
その翌日も、翌日も。
私の髪に適した量は1プッシュどころではなかったけど、それに気づくのが遅かったみたい。
1プッシュで洗うようになってからもう大分経っていたんだけど…。
節約は大好きだけど、節約しても意味がないというか、減らしすぎることがあまり良くないこともあるんだなと思った出来事だった。
最近、もう一つ悩みがあった。
理由が分からず、すごく鬱っぽいの。
夜も眠れなかったり、週末も考えこんでしまうくらい。
特に自分に価値が無いような感じがしてしまって、仕事でも簡単なミスが続いたりして、それ一つ一つがまた仕事が終わってから気になってしまって。
ここ何年もそんなことなく、まあモチベーションも低くなく、ミスもそんなに多くなくやれていると思っていたので、この最近の自分には余計落ち込んだ。
さっきも、あー私なんて石臼にすりつぶされるといいわ…(ゴマか)と思いながら昼寝をしていたんだけど、起きたら、またふと気が付いた。
もしかして、仕事量が減ったからかなって。
仕事は常に忙しく、育児との両立で常にギリギリな生活をしていて、さらに最近は夜勤じゃないだけまだマシみたいな、どう見たって激務生活を何年もしてきた。
(泣きはしなかったけど、数回死を意識した)
ただ、職場にも私にも色々事情があり、仕事量が今は減っているのだった。
私はその状況に小躍りし、これでやっとワークライフバランスは保たれたと家の片づけをしたり、夜もめちゃくちゃ残業しなくていい環境を心から楽しんでいた、
はずだった。
でも、実際仕事が減ると何が起きたか。
なんか自分の能力がどんどん下がっていくような感覚に陥る。
ものすごく緊張感を持って全力で毎日やるしかなかった時は、もしかしたら実力以上に火事場パワーが出せていたのかな。
毎日自分がすぐにはできない難しい岩みたいな仕事が一つどころではなく、何個もある状況で、それをどうにか力技で動かしてきたような日々。
今は一週間に両手ですぐに持って移動できちゃう小さい岩みたいな仕事が数個。
そうすると、その数少ない仕事の出来の一つ一つが、夜に気になってしまうようになった。
小さいミスが続いたこともあり、自分に価値が無いのでは、と思い始めるようになった。
あと、周りの人の状況がよく見えるようになって、「ああ、あの人すごすぎる、あんなにはなれないな」とか、本当に余計なことを考えるようになった。
前は気にする時間が無かっただけだったのかも。
色々ネットサーフィンしていて、ハーバード・ビジネス・レビューの記事にたどり着いてハッとした。
確実に、仕事にアイデンティティを求めすぎている。
起きている時間のほとんどを仕事しているような生活をずっと続けてきたし、これからもそれが続くと思っていた。
そこそこ仕事をやって貢献した気になって、そこそこお給料をいただいて、そんな自分に満足していたのかもしれない。
仕事=自分。
仕事が減ると、自分に価値が無くなった気がするのはまさにその通りだと思った。
仕事が減ったのに、週末にも仕事のことでずっと悩むなんて、なんか健全ではない気がする。
ずっと激務すぎて、私死ぬかもなと思いながら量をこなすこともできないだろうし、
そもそも普通のサラリーマンをしている限りは、永遠に同じような仕事ができるわけでない。
同じ企業で勤め抜いたとしても、いつかはステップダウンする日や、リタイアする日が来るだろう、それはそんなにすごく遠くない将来に。
私はその時耐えられるんだろうか。
お世話をする孫がいるかもいないかも分からない、やることがもしかしたら本当に無いかもしれないんだよ。
まず、今、仕事が少なくなってしまったくらいでこんなに落ち込んで、無価値な気持ちを抱えてしまっているところから少し変えていかないと、絶対耐えられない。
これはお金の有る無しには関係無い課題だとも思う。
怪しく唱えて意識改革をするか、「仕事ハ私ジャナイ、私ハ仕事ジャナイ…」
ミスをすれば、しただけハーゲンダッツを買えるようなルールにしようか(笑)
可及的速やかに、何か違う評価軸を自分の中に持たないといけない。
仕事が少なくなっても、最悪無くなっても(OMG)私は死ななきゃいけないわけではない、役に立たないわけでもきっとない、はず、はず、はず…。
もしかすると、最近借りた本がヒントになるかもしれない。
最近100分で読める〇〇にハマっているという家族に頼まれて借りてきたんだけど、自分もちょっと真剣に読んでみようと思っている。
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子供の頃はそこそこ仏教に縁がある環境だったんだけど、少しずつ思い出してきた。
早くに亡くなった祖母が教えてくれた「されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。」のお文。本当に一日でポックリ亡くなってしまったんだけど。
死ぬときにはモノやお金や自分に付いていたラベルは何も持っていけないけど、想い出は持っていけるんじゃないかな。
人生は無常なんだから、色んなことにとらわれずにできるだけ楽しく過ごした方がいいんだろう。
シャンプーの話に始まり、結びが全く違う着地に感じになってしまったけれど。
シャンプーも適量を、仕事も適量を、読書も忘れず適量に、一番大事な自分への褒めも適量に、生活を工夫しながら楽しんでいきたい。
あと、シャンプーは子供がこっそり毎日使っていたことが判明した。
「香りが良くてこれ大好き」とのこと、なるほど…。