退職する人へのメッセージを見ていると、「憧れていました」と後輩が書いていた。
憧れるのを止めましょう、は大谷翔平だったけど。
「憧れ」って何気に深い言葉だなと思った。
明らかに好き、いつも見てしまうくらい。
スタア的存在、容姿もライフスタイルもその人そのものが好き。みたいな感じ?
憧れの存在と自分とはある程度距離があるはず。
なりたいけど、こうはなれない。
今は、かもしれないし、多分一生かも。
憧れています、なんて言われたことがあったかな?と記憶を遡ってみると、こんな私でも数回はあった。
でも「え?この人私のこと見てたんだ」くらいの遠い知り合いの間柄。お世辞だったのかもしれない(笑)
憧れています、と誰かに言ったことは無い気がする。
芸能人とかのサイン会とかあったら言うんだろうか。
よく考えてみると憧れる人はたくさんいるけどなぁ。
料理家の人とか、暮らしぶりに憧れる人とか、
体がきゅっと締まっている自分をコントロールできる人とか。
いつも笑顔の人とか。
あなたは誰かに憧れられたいですか?
ちょっとドキッとしたのは、そのメッセージを見て自分が憧れの対象でありたい欲望がもしかしてあるのかなと思ったから。
近くの後輩とかに「憧れています」とか言われたら、嬉しくてポワワンとなってしまいそう。
あ、ここまで同性の話をしてる。
憧れのおしゃれな先輩になろう、なんて特集を組む雑誌も多いし、やっぱり皆どこかではそう思うものなのかな。
どうしたら私に憧れてくれるのかなぁ。
…
多分、そんなこと考えない人に皆憧れるのではないだろうか。
憧れられる人はきっと無意識の振る舞いが羨望を集めているんだと思う。
無になって周りをあまり気にせず、自分の好きなようにやって、好きな服を着て、そんな生活の先に誰かの憧れってあるんじゃないかな。
我が道を行く人はそれだけでも憧れの対象になるし。
憧れられたいな、と思い始めたら、その考えをすぐ捨てることからだな。
大谷は多分誰かに憧れられたいって思ってないもんね。
憧れについての考察、また続けてみようと思う。