My adventures in Wonderland

先日の台風の日。

天気は大荒れ、靴の中はびしょぬれ。

でもどうしても別の区に出かけないといけない用事があり、私はその区の図書館でしばし雨宿りをした。

別の区だからどうせ何も借りられないから、何か立ち読みでもしようと。

そこで面白そうだと思った一冊の本を30分くらい読んだ後に、またずぶぬれになりながらベローチェに移動して、ルイボスミントティーという名前の新鮮な飲み物を飲んだ。

マグカップに入ったノンカフェインのホットティー。冷えた体にアツアツのお茶がしみた。

 

その後、また無情にも平日は規則正しくやってきて、仕事は不思議の国のアリスを追い掛け回すトランプの兵隊のようにきれいに整列して私を追い立てた。

(お茶会だけ参加できればいいのに…)

 

ただ、先週は本当に忙しかったけれど、不思議と一緒に仕事をしている人達にいつもより優しい気持ちを持てている気がした。

 

「なんか、この人、もしかしたら姿形が違うだけで私の一部だったりするのかも?」

 

頭がおかしくなってきたのかもしれない。

でも、目の前にいる後輩を見た時にちらっとそう思っただけで、なんか急に色々可愛くなってきて、全部許せてきちゃったのである。

 

この人がもし私だったら?

おそらく5個以上下のこの子、まだ経験の数が足りていないから見えている範囲が違うのはしょうがない。いつもより急いでいるのは、もしかしたら、子供の体調のことで何か気にかかることがあって早く帰りたいのかもしれない。

 

上司も私の一部かも?

私よりもっと難しいメールがたくさん来ているのかもしれない。部下が多すぎてなかなか一人ひとりを丁寧に見るような時間は無いのかもしれない。

もしくは、相談に乗ってくれないのは、一人で考えさせて対処させて成長させようとしているからかもしれない…???

離れた地元の親御さんのことが気にかかっているかもしれない。

 

私はこの人のために何ができるだろうか。

 

人の気持ちを考えよう、Put yourself in someone's shoes.

色々な表現で昔から習ってきた当たり前のこと。

 

だけど、私は最近も、「この人はこうしたらもっといいのに」「なぜこんなことをするのだろう?あるいは、しないのだろう?」

なんかもやもやして、むしゃくしゃすることがあった。

仕事でも、家族でも。(言うことを聞かない家族が何人もいる!)

怒っていた。

怒るのはその人に勝手に自分の思い通りになることを期待しているからなんだよね。

 

最近別の同僚と話した時にも「期待しすぎかもしれないよ」と言われて、そうなのかもしれないと思っていたところだった。

加えて、いきなり思いついた「この人は私かも」妄想ゲームはかなり私の考え方を変えるのに効いたよう。怒らなくなったもの。

 

この人の心なのか、血なのか、細胞なのか、何の一部なのかはわからないし、どうでもいいんだけど、

この人のものすごく小さい何かが私そのものの一部、もしくは私と共通しているものを持っている・守っている、という風に考えると、

私がその人の中に入って行って、そこから私を見ているような気持ちになり、

そうすると、ほぼ妄想なんだろうけど、その人がそういうことをやっている理由がいくつか勝手に思い浮かび、そうすると急に怒りがすーっと引いていく。

 

しょうがない。

だって私も絶対そういうことやったりするんだもの。

なぜこのタイミングでメールをしないんだ信じられない、イライラ、と私に思っている人がどこかにいたとして、

  • 私は別の優先度の高いその人に見えない案件の対応をしているのかもしれない。
  • 私は学校の先生から子供について電話を受けているところかもしれない。
  • 私は実はメンタル的にやばくて、誰にも言ってないけどうつ病なのかもしれない。(フィクションです)
  • もしかしたら、全部そんなことはなくて、ただサボっているだけかもしれないけど。

イライラしている人が、私がメールをしない正当な理由を理解したら、多分その人はそんなに怒らない気がする。

もし、その人が私の中に入って私からその人を見るようなことを想像してみたら。

 

私は霊感とか悲しいくらいに全く無く、引き寄せの法則を若干信じている程度の夢見るおまじない女だけど、

もしかしてこれがスピリチュアルでいうところのワンネスってやつなのかもしれないってちょっと思った。私とあなたは無境界で、一つ。

えのきみたいに思った。あなたと私はちがうえのきだけど、根元はつながっている。

 

ただ、相反するような感じだけど、アドラー心理学にも近い要素がある気もした。

「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」を何度か読んでいる。

あなたの課題は私の課題ではない。逆も然り。

一方で「共同体感覚」を大事にし、貢献する。他人のことを理解はするけれど、そこに踏み込んで解決していくということまではしない。

アドラー的な考え方をすると、他人に対して無暗に怒ることは結構減るのだと思う。

 

これを両立しようとすると、

あなたの中から私を見つつ、また、あなたの課題を理解はするけど私は踏み込まない、ジャッジしない。(=勝手に期待して怒ったりしない)

となるのかもしれない。

 

私こんなことを急に考え始めたのは、つい一週間前、だけど、

少しの考え方や、心持ちの違いで、他人の言動・行動への感じ方がまったく変わるものなんだな、と素直に驚いている。

人と対峙する時の基本設定・ルールを作ることで、あまりリアクションしすぎず、怒らずに穏やかに生活できるようになるのかもしれない。

誰にも言う必要のない、自分だけのやり方。

 

台風の雨の日に、図書館のソファで面白く読んだこちらの本。

読んでみると、その後しばらく経ってから、何かしら考え方の変化が起きるかも?

軽いタッチで読みやすかった。

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アドラー本2冊。飛行機の中で読みたくなってくるのはなぜ。

確か本でも家にあるし、電子書籍も両方持っていた気がする。

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少し話は飛んで、

不思議の国のアリスも、なかなか意味深なセリフがたくさん出てくる。

 

自分の姿とは他人の目から見えるもの?

(侯爵夫人のセリフ。和訳も色々な解釈があるよう):

”Be what you would seem to be, or if you'd like it put more simply: Never imagine yourself not to be otherwise than what it might appear to others that what you were or might have been was not otherwise than what you had been would have appeared to them to be otherwise.”

 

また、終盤、トランプ兵に向かって巨大化したアリスが言うセリフ。

"Why, you’re nothing but a pack of cards."

(なによ、単なるトランプのくせに!)

大勢の人や大きなタスクに追い詰められた気になっているだけで、客観的に見ると、実は何も大したことは無いのかもね。

また今日から一週間平日を指折り乗り切る。

何か難しい仕事が来た時には、巨大アリスの気持ちになって、大声で叫ぼう。

きっとスッキリ(笑)